Kazuya Hasegawa Story-15

明るく元気で笑顔で楽しく、そして自由過ぎるお母様

STORY-⑮◆ 修学旅行についてきた自由な母 その2
1年生のときから運動会の花形【スウェーデンリレー】の第一走として毎年トップを走り優勝の立役者となっているうえ、推されて生徒会でも活躍して頭髪の自由化などで活躍。クラスでもリーダー的存在だった長谷川少年。
そんな長谷川少年のもとに急遽訪れたのが、『さだこショック』!!
もし同じ立場だと思ったら、心底震えますね。
リーダー的立場なんてあったもんじゃない。
間違いなく、修学旅行から帰ってきたら「お前のおかん修学旅行についてきたやろ~!」とからかわれること必至。

この事態をどううまく立ち回ったのか・・・高校時代の大一番が始まります!
必死に考えた結論は「自分の勝手してんから、言うこと聞いてもらうで!!」という交渉。お母様も「それはそやな」と思ったのかどうなのか、その言葉通りに動いてくれることになりました。
まず、お母様は長崎に着いたら友人たちを高級中華料理店に連れて行ってくれて、皿うどんや長崎ちゃんぽんなどのお昼ごはんをご馳走してくれました。
また、班別行動は基本徒歩や公共の交通機関で移動するのですが、なんと長谷川一行にはタクシー代を出してくれて、あの急な坂がある都市の散策を難なくクリア!

極めつけは、帰りの特急列車です。
当時、最高のぜいたくであった特急列車の車内食堂に友人たちは招待されたのです。今でいう一流ホテルのディナーに高校生ながら招待されるのとそう変わらないレベルです。
それはもうみんな大いに喜び、長谷川少年に感謝しきりだったそうです。

こうして、長谷川少年の誘導のもと母親が便宜を図ってくれたおかげで、友人たちからはありがたがられ、面目は保てたうですが、誰もが聞いたことのない、そして一生忘れることができない母親同行の修学旅行となったそうです。

さて、そんな自由なお母様でしたが、病弱で背の低い小学生時代の長谷川少年を勇気づけ未来に目を向けさせ続けたのもお母様の存在だったそうです。
お母様から長谷川少年に向けた金言が、幾度となく長谷川少年のメンタルを支えたのも事実。
その言葉とは「山椒は小粒でピリリと辛い!」でした。

小さい頃はことあるごとに長谷川少年の心に火をつけるこの言葉を言ってくれていたそうで、それが後年まで心の支えになり、困難にぶち当たるたびに乗り越えるメンタルをつくってこられたそうです。
自由でありながら、なんとも素敵で気概のある女性だったんですね(^^)

 

 

 

 

 

 

 

※写真1:幼少期の長谷川先生とお母様<br>
※写真2:生野工業高校時代、運動会の花形【スウェーデンリレー】の第一走として疾走する長谷川先生<br>
※写真3:創立は明治12年!エリート女性だけが通えたお母様の母校である活水女学校の校舎

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